10年間教師を目指していたわたしが、カンボジアの奥地でブランドを立ち上げた理由【カンボジアでの気づき編】
スォスダイ。カンボジアのかご屋moily代表のきよみです。
前回はなぜ私がカンボジアへ行くことになったのかのきっかけを書きました。
カンボジア渡航前はバリバリ教師を目指していたわたし。
目的の一つであった面接で話す内容をゲットして帰国し、(笑)
これで安心して教員採用試験を受けるはずだったんです。
渡航前の予定では。
しかし、帰国後・・・。いや、もうカンボジアにいる途中からわたしはおかしくなっていましたw
軽いショックを受けているような状態だったんです。
メディアが伝えてる貧困、かわいそうだから支援が必要だと教えこまれてきた「カンボジア」と、イキイキとした顔で一生懸命に生きる目の前のカンボジアとのあまりの違いに衝撃を受けました。21年間わたしが、学んできたことって何だったのだろう。
わたしは彼らのように毎日毎日一生懸命生きているっけ?と、もはや自分の今までの生活を深々と反省するほどでした。こんなに一生懸命人間らしく生きている人に会ったことがなかったのかもしれません。なんだかすごく眩しかった。
きっとこれをカルチャーショックというのだと思います。
帰国したわたしはもう机にじっと座って教員採用試験勉強をしていられなくなってしまっていました。
世の中には知らないことが多すぎる。今の私の脳みそはメディアと教科書からの情報のみで、リアルのことなんてまるで知らない。教師になるならなおさら、世界のリアルを絶対に知らなければならない。
そんな気持ちと
こんなに恵まれた生活をしているのになんでこんなに適当に生きてきてしまったのだろう。
彼らのように一生懸命生きなければ。
この気持ち。単純な私はこの2つしか頭になかったと思います。
この2つの気持ちが頭の9割を占領していて他のことが考えられなくなってしまっていました。
そしてカンボジアからの帰国3日後には、大学の就職課、ゼミの先生の元へ行き「今年は教員試験を受けません。就職もせず、そのまま卒業します。そして世界を見てきます」と伝えていました。
この話を講演会などですると、よく「その行動力すごいですね。どうしたら行動力が出ますか?」だとか「海外に一人で行く決断はこわくなかったんですか?」とか「きよみさんだからできたんですよ」
と言われるのですが、思い出してください。私はこのスタディツアーに参加するまでバイトと遊びしかしてこなかったぐーたら人間です。大阪のホテルに一人で泊まることがこわかったほどの弱虫でしたw
だけどカンボジアでの経験はそんな私をここまで動かしてくれるような衝撃だったということです。
実はその決断をしたときに、友人にメールした記録が残っていました。読み返してみると、
お金もないし、新卒逃すし、一人だけ違う方向を向くことになるし(元々教育大学なのでほとんどの人が教師になる大学でした)、英語話せないし、両親もなんていうかわからないし、そもそも海外に一人で行ったことないし不安しかない。
だけど何も知らないで教師になることが一番こわいって思う。今この決断をしなければ後悔すると思う。
と書いてありました。懐かしいw
すべては自分の心が答えを持っていました。
「今いかなければ後悔する。」それに素直に従っただけなんです。
1年後に世界をバックパッカーで周ると決め、それまでの期間にひとつずつ不安をつぶしていきました。
お金がないという不安
バイトを3つ掛け持ち、モノには全くお金をかけずひたすらお金を貯めて解決。
新卒を逃す不安
教師の場合だと帰国してからだと、試験を通っていなくてもひとまず採用に通れば講師になれるということで一安心。
英語が話せない不安
英語はがんばったつもりだったけど、それはやはり“つもり”であとからつまづく。
親の反対への不安
両親には何を質問されても答えられるように、両親に聞かれそうな内容はすべて調べつくし、答えを用意していました。安全面では毎日ブログを書いて生存確認するということで合意。(というかありがたいことにあまり反対はされませんでした。)
海外に行ったことない不安
その年の夏休みに1人旅予行練習をタイでしましたw
(初一人海外でのタイの空港で、不安すぎて一人泣きしたのは内緒)
そんなかんじで世界一周に旅立ったのです。
大胆な行動を、深く考えずにしてしまうタイプに思われがちですが、結構心配性で初めてのことは調べつくして、準備しすぎないと気が済まないタイプです。実は。w
あなたは、自分の価値観をガラっと変えてくれるようなカルチャーショックをうけたことはありますか?
そしてその時の自分の心の声と向かい合っていますか?
わたしは実は自分の心がすべてを知っていると思っています。
びっくりするような衝撃を受けた時こそ、自分の心の声を聞いてみてください。